スポンサーサイト

2016.11.23 Wednesday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    【戦後70年】 東京大空襲の記憶 後世に

    2015.02.09 Monday

    0
       1945年3月10日未明、東京を約300機の米軍の大型爆撃機B29が襲った。大量に投下された焼夷(しょうい)弾で市街地は焼き尽くされ、一夜にして10万人以上が死亡したとされる東京大空襲だ。

      • 空襲で焼けた自宅近くにある貨物線の高架下で手を合わせる二瓶治代さん。あの夜、焼夷弾を避け、大勢の人たちがここに逃げ込んだが、その多くが焼死した。しばらくは壁に人の形の焦げ跡が残っていたのを覚えている(東京都江東区亀戸で)
      •  

          「ここに来ると、70年前のあの夜が、昨日のことのようによみがえるんですよ」。ビルが林立する東京都江東区亀戸の一角で、二瓶(にへい)治代(はるよ)さん(78)がゆっくりと話し始めた。

        •   この一帯には、小さな木造住宅が立ち並んでいた。友達と夕方まで遊び、疲れて眠りについたが、父親の「早く支度を」という声で起こされた。外に飛び出すと、あたりは炎で真昼のように明るかった。赤い雨のように見えたのは、無数の焼夷弾だった。迫る炎を避け、街中を逃げ回った。父親に守られ何とか朝を迎えることができたが、一面の焼け野原で、あちこちに黒こげの死体が横たわっていた。激しい炎で、防空壕(ごう)に逃げ込んだにもかかわらず隣の一家は全員が焼死した。

            30代の頃、空襲のことを話した知人に「そんな昔のこと私には関係ない」と言われショックを受けた。それ以来、子や孫にも話すことはなかった。

            2002年、友人に誘われ完成間もない東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)を訪れた。展示物などを見るうち、隠してきた思いがあふれ出し、気付けば夢中であの夜のことを学芸員に話していた。「今の話をここで話してみませんか」と誘われ、子供たちを前に講演を始めた。「あんなつらい思いはさせたくないですから」。講演は400回を数えた。出来る限り続けるつもりだ。

            写真と文 大原一郎(1月14日から29日に撮影)

          • 平和学習で訪れた東京都東大和市立第五小の6年生たちに70年前の体験を語る二瓶さん。「戦いの最前線も悲惨だっただろうが市民の上にも爆弾が降り注ぎ、たくさんの人が犠牲になったことを知っていてほしい」(東京大空襲・戦災資料センターで)

              

            • 被害の大きかった住宅街の一角には、犠牲者を弔おうと、空襲の2年後に地蔵が建てられた。以来、住民たちの手で大切に管理されてきた(東京都江東区森下で)

                

              • 空襲の翌日、焼け跡からお気に入りの皿を見つけ「ここが家だったんだ」と実感した。以来70年間、二瓶さんは、この皿を大切にしてきた

                  

                • 戦後、米軍が撮影したとされる現墨田区一帯。手前のドーム屋根は旧国技館、右に流れるのが隅田川(東京大空襲・戦災資料センター提供)